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議論の必要性

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こないだ親友と久々に議論しました。

私、ずっと反対意見って引っ込めるタイプだったんです。

それでね、長いこと議論って避けていたけど、大事なことなんだって思ったので、今日はそれについて書いてみようと思います。

 

 

 

 

議論って大事?議論の必要性

議論は喧嘩

議論をした親友と私は中学校からの付き合い。

彼女はルールや仕組みや物事の枠組みの方から物事を考える。
私は自分の思いに忠実に物事を考える。

ただの世間話のつもりが、お互いの視点が違いすぎて良く議論になっていました。


芸能人の〇〇は頑張っているか、頑張っていないかで、何時間も意見のぶつかり合い。
当時は若さゆえ、お互い自分の意見を相手に納得させないと気が済まなかったためヒートアップ。

最後は罵り合いの大喧嘩になりました。


そこで私は反省し、大事なことを学びました。

  • 必ずしも自分の意見は人と同じではない
  • 押し付けることもできない

 

そしてそこから私は仕事以外の議論をやめてしまいました。

仕事以外の議論=喧嘩

この構図ができてしまったんです。

 

 

反対意見は引っ込める

それからというもの、自分の反対意見は言わずに引っ込めるようになりました。

そこから人に合わせる自分になっていったのだと思います。
確かにそれからは、人と衝突することは殆どなくなりました。

そして気づくと、自分に対する反対意見にまで、物凄く怯えるようになっていました。

大多数から外れて見えないように振る舞うことも増えました。


 

心境の変化

ブログを始める前、実はママ友とトラブルがあったんです。
そこで自分の言いたい意見を言えずに、後悔した出来事がありました。

だから私は『自分の意見を言う事は大事』だと心に刻み始めました。


そんな時、親友と再び議論になったのです。

 

 

議論、再び。

テーマは『外国の物乞いの人に何かをあげる事』について。

親友は『あげる事で彼らが物乞いの道以外を選べなくなるかもしれないから、あげてはいけない』
私は『言われた時の自分の気持ちに沿って、渡したいと思ったら渡すしそうじゃなかったら渡さない』だった。

もしガリガリで痩せ細った子供に言われたら、きっと命を繋いで欲しくて渡してしまう。そう思ったから。

 

そして久々の議論スタートです。



議論をしていて気がついたこと

意見をぶつけ合っている時、自分を俯瞰で観察している感じになりました。

そして思ったこと。
考えは人それぞれなので自分の意見を押し付ける事は出来ないと分かっているけど、どうしてもここだけは聞いてほしい!と、自分の中でヒートアップするものを感じました。


熱くなる部分=自分の大事にしている思い

親友はあげる事で、彼らが物乞いの道以外を選べなくなるかもしれない。
それからずっと助けることが出来ないのなら、あげてはいけないと言ったけど、私はこう思う。


自分が何かをしたことで、人の人生が変わったとしても、それはその人の問題でしかない。

こちらから見て、不幸な状況に見えたとしても、本当に不幸かどうかはわからない。
なぜならその不幸な状況を経験したことにより、その後羽ばたくことになるかもしれないから。そうなるとその不幸は、その人の人生に必要な出来事になる。

 

 

だから私の結論は自分が人にどう影響するか予想することは不可能なので、自分の思いに従って行動するしかない。

そして私も他人がきっかけで自分に悪いことが起きたとしても、その人を悪いままにはしない。
必ずその出来事を自分の成長に変えて、感謝で終わる。


議論していて熱くなった部分。
私が大事にしている生き方ってこれなんだなーって凄く実感しました。

わかってはいたけど、こんなに溢れ出すほど伝えたい物だったとは。

 

議論を交わす度に自分の考えが鮮明になる 

自分が伝えたい思いも、反論を重ねるごとに、明確に形になっていくのを感じました。

私の場合、最初は感情がそれは違うと相手の言葉に拒否反応を示す。
そしてそれに反論をしていく度に、なぜ違うと思ったのか、しっかりとした言葉が出来上がっていきました。

自分の頭の中がどんどんクリアになっていく感じが、凄く気持ち良かったです。

 

 

まとめ・議論は喧嘩ではない

久々に議論してみて思ったこと。
『議論は喧嘩じゃなかった』

きっとお互いに論破しようとは思っていなかったってのもあるかもしれないけど。


そしてちょっと驚いたこと。

反対意見があることで、自分の考えが深まる。



私は自分を知ることを大事にしているので、議論によって自分を知ると言うのは新しい発見になりました。

 


ちょっと人と違う意見を言うと、叩かれるとかありますよね。
でも自分と違う意見って非難の対象ではないと思うんです。


皆が同じ意見だと、調和はしますが成長はありません。
成長するには変化が必要だから。

もっとあらゆるところで、議論が当たり前に行われていたら、叩かれるとかもなく、物事をあらゆる角度から検証していく楽しみもできそうです。


友人の深い考えも聞いてみたいし、自分の考えも聞いてほしい。
実は色んな考えがあるんだねって、そう言うのが当たり前に浸透してほしい。
人と違う意見を聞いたときに「なるほど、そんな考えもあるんだねー」って皆で思える社会になると素敵だなーって思います。

子供にも、そんな世の中で育ってほしいです。

 

 

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